真面目な人が馬鹿をみるクソみたいなこの世界
皆様、生きておられますか?
私は相変わらずといったところでしょうか。
本編書くのは初めてですね
後日改めて私の経歴等書いていければと思っておりますので誰得情報ではありますがその際はよろしくお願いします
さて、今日学校で避難訓練が行われました。
私はルーム長とやらになってしまっているので、点呼や先導をしなければならないから絶対登校して職務を遂行しなければいけない、という責任感を持ってこの日を迎えました。(ちょっと大袈裟すぎるかな)
まあ要するに私は真摯に避難訓練という行事と向き合って真面目に頑張ろうと思っていたのです。
しかし実際周りはどうでしょうか。
もう何度も聞いた「地震が発生しました。生徒の皆さんは机の下に隠れて安全を確保してください」という校内放送が流れた時、周りにいるクラスの人たちの多くが笑っていたのです。
私は不思議でたまらなかった。
え?今って地震起きてるんでしょう?訓練と言えども真面目にするのって小学生の頃から言われ続けてきた当たり前のことなんじゃないの?小学校や中学校のときは教室静まり返ってたよ?何で私語が続いているの?何がそんなに楽しくて笑っているの?
それからの避難もダラダラとお友だちと話しながらのんびりと歩く始末。最初はどうぶつのもり()である私のクラスだけがおかしいのかと思っていましたが廊下に出てみると他の人たちも楽しそうに若しくは気怠そうに歩いてグラウンドに向かっていました。
こんな無駄な移動のために避難訓練が行われてる訳じゃないのに。
私の中で疑問が次第に怒りへと変わっていくのが自分でもよくわかりました。
「避難訓練真面目にやろう」と思うことは何か間違っていることなのでしょうか?
周りとちがう私がおかしいのでしょうか?
私はそうは思っていません。
だってやるべきことをちゃんとするって当たり前のことだもの。
周りがおかしいんだと信じていたい。
でも、周りを見渡せば私が異端児。
「何あいつマジになってんの、だる」
「ルーム長だからってこーゆーときだけ調子に乗って偉そうにするな」
きっと私は多くの人にこのように思われていることでしょう。
私は当たり前のことをやろうと思っただけなのに。
私が気付かないうちにこの世界は腐ってしまっていたようです。
本来正しいはずの事象が『大多数』によって悪にすり替わっている(ように皆が錯覚する)
当たり前が当たり前じゃなくなっている。
勿論時代は変わっていくのですから当たり前も変化して当然でしょう。
その時代の流れに乗れないまま真面目に生きることは本人に非がなくとも悪になってしまうようなのです。
なんとも哀しい世界・時代になったものです。
ですが私もいつまでも馬鹿正直に生きるつもりはありません。仕方がないですそういう時代なのですから。
周りの人たちがズルをして真面目であることをやめてしまうように、
私もズルをして生きることをやめてしまおう。
と。
私がもう馬鹿を見なくて済む日はいつ訪れるのでしょうか。
まだ見ぬあの世を夢描きつつ、
私はその日を待ち望んでいることでしょう。